古代史のなぞ・・・なぜ、福岡が弥生遺跡と重要神社の集中地帯であるのに、神話とつながらないのか?
なぜ、天孫降臨の場所が宮崎県「高千穂」なのか?
なぜ、天皇家のルーツがはっきりしないのか?
なぜ、邪馬台国の場所がわからないのか?
なぜ、日本特有の前方後円墳が誕生したのか?
なぜ、日本一大きな銅鏡が糸島平原遺跡から発掘されたのか?
なぜ、前方後円墳の存在密度が、奈良に次いで糸島が2番目なのか?
これらの謎のすべてが、一つのストーリーとしてつながる道筋がみえてくるとしたら、どうでしょうか?
古代史を解明する鍵は、日本神話の国土最初の島「オノゴロ島」の解明にありました。
それが、私がいきついた「オノゴロ島祭祀=前方後円墳起源説」です。
オノゴロ島祭祀=前方後円墳起源説
日本神話の巻頭を飾る国生み神話。国土創世の物語に伊邪那岐命と伊邪那美命が「天の浮橋」から「天沼矛」で造った最初の島として、オノゴロ島は登場する。現在「想像上の島」であるとして、文献史学・考古学的に検討されなくなったその島の有力候補が、今、あなたの前に現れる。それは近畿から遠く離れた北部九州、玄界灘の離島、小呂島(おろのしま)だ。
伊都国の糸島二見ケ浦から見えるその形は、初期前方後円墳のモデルとなった可能性がある!!
更新履歴
2018.5.20
新刊情報『古事記日本神話の故郷は玄界灘の島々だった!』情報を掲載
2016.12.25
講演会・連載記事・インタビュー掲載欄を追加
フォーNET、忘却の日本史、ハカタ・リバイバル・プランの各hpへのリンク追加
2016.12.15
オノゴロ太郎のメディア出演に朝日新聞掲載記事を追加
2016.4.4
オノゴロ太郎のメディア出演にKBCラジオ出演音声データを追加
2016.2.27
facebookへのリンクを追加
2016.1.17
糸島の支石墓と小呂島の位置関係簡易googleマップ表示
2016.1.13
ハカタ・リバイバル・プラン
語り部会のお知らせ 2月分
2015.12.28
ハカタ・リバイバル・プラン
語り部会のお知らせ 1月分
2015.12.26
2015.12.01
動画 古代鏡の光通信 追加
2015.11.23
2015.11.13
2015.11.12 写真追加
2015.11.11 hp開設
伊邪那岐命と伊邪那美命が「天の橋立」から「矛」を海に突き刺し、かき回して垂れた塩で最初に造った島を、古事記では淤能碁呂嶋(おのごろしま)、日本書紀では磤馭慮島(おのころしま)と表記してあります。
このオノゴロ島は、通説では伝説上の島であり実在しない島であるとされてきました。しかし日本神話の巻頭を飾るこの島が「やはり実在しないわけがない」と、古来から様々な研究者が、その候補を瀬戸内海を中心に検討してきました。
国生み神話では、オノゴロ島を造ったのち、淡路島をはじめ四国島・隠岐島・九州島・壱岐島・対馬島・佐渡島・本州島をつくり、その後、吉備児島をはじめとする小六島をつくったとされています。つまり、伊邪那美命が生んだ「最初の子」である、「淡路島」が存在する瀬戸内海に、その答えを求めたのです。
しかし、この考え方には2つの奇妙な点があります。
まず、第一に島が生まれた順番をあてにしてよいのかという点です。
この伝説がなんらかの事実を反映しているのならば、それは、国土獲得の物語とみることができるでしょう。なんらかの勢力が、国土を広げるため、他の島に進出し、獲得して領土にしていった歴史が反映されているならば、その勢力は淡路島からはじまって次に四国を獲得したことになります。でもその次は、隠岐島なのです。瀬戸内海から、いきなり日本海の離島を獲得したでしょうか?そして次が九州なのも、順番がおかしい気がしませんか?そもそも日本書紀にいたっては、とりあげた一書ごとに生まれた順番が違っています。国生み神話で島が生まれた順番は、あてにならないのです。ならば、オノゴロ島が淡路島の隣である必要は、全くありません。
第二に、オノゴロ島が瀬戸内海にあったなら仁徳天皇の歌と矛盾します。
仁徳天皇が詠った詩の中に、オノゴロ島を詠ったものがあります。そこには、オノゴロ島とアジマサ(ビロウ)の島が同時に詠われています。なのに、アジマサ(ビロウ)は、瀬戸内海に自生していないのです。なぜなら、アジマサ(ビロウ)は、熱帯性植物であり、瀬戸内海では寒すぎて生きることができないからです。
オノゴロ島を瀬戸内海に求めるなら、これらの疑問点が解消されません。
そこで、オノゴロ島の位置を瀬戸内海から離れて、ビロウの自生地をキーワードに考えると意外に答えが出てきます。それが、小呂島です。オノゴロ島を小呂島と考えた時、驚くほど古代史の多くの謎が氷解していくのを私は体験しました。
そこで、小呂島がオノゴロ島といえる理由を、今まで私が各方面に発表してきた小論文・寄稿文を元に解説し、皆さんにご納得いただくため、このhpを開設しました。
このhpで明らかにしたい古代史の謎は以下の点です。
1.国生み神話の元となった、歴史的事実の実像とは?
2.オノゴロ島が小呂島と考えられる、科学的根拠は?
3.弥生人の卓越した測量技術の痕跡と、その方法とは?
4.植物からわかる古代祭祀の痕跡と、オノゴロ島の関係とは?
5.前方後円墳・前方後方墳の起源が、オノゴロ島祭祀とは?
6.伊都国や安曇族と、邪馬台国や大和朝廷との関連とは?
7.ヤマタノオロチ伝説と玄界灘制圧史の関係とは?
8. 今も存在するオロチ族と安曇族と小呂島の関連とは?
どうぞ、ご意見・ご感想・お知恵をいただき、皆様とともにこれらの謎の解明で、古代史に新たな光をあてることができれば、幸いに思います。
オノゴロ島祭祀=前方後円墳起源説とは
もしも、このhpのアイデアとその結果をしりたければ、下記の雑誌を購入されるか、講演会にお出かけください。きっと、目から鱗の古代史像が姿をあらわすことになるでしょう。そして、今までと全く違う古代史へのアプローチ、神社・遺跡見学の視点を手に入れることができます。それは、あなたの古代史論の証明に役立つかもしれません。
新刊情報・連載雑誌・インタビュー掲載
1 神話には元となった
事実が存在する
ストーリーは元ネタなしでは生まれないといわれています。古東西あらゆるヒット作には、必ず元になった事実や物語が存在します。例えば、桃太郎の元ネタは、吉備津彦の温羅退治の話ですし、浦島太郎の元ネタは、古事記の山幸彦の話です。竜宮城も、縄文海進によって海に沈んだかつての都の記憶があったのかもしれません。
古代人が遭遇した衝撃的な歴史的事実は、それが「神の仕業」であるとして、彼らにとってもっともらしい説明となる神話に、生まれ変わったでしょう。
当然、神の話として、話は肥大化し脚色されたはずで、神話が真実を示すものではありません。しかし、「元になったなんらかの事実」=「元ネタ」は存在した可能性が高いのです。
2 古代において方位をあわせることは重大問題だった
山口県土井ヶ浜遺跡の渡来系弥生人の人骨はすべて、顔を先祖の地である朝鮮半島に向けていたといいます。お墓をつくるとき、その人が遠くからやってきた外来者なら、故郷の方角に向けて造るのが自然な発想ではないでしょうか。
一方、在地で生まれ育ったなら、ある者は先祖の地に向けたり、ある者は自ら信仰する対象物(山・日出日没・北極星・祭祀場等)に向けたり、果たせなかった夢の地に向けたかもしれません。これを現在の私たちが見た時、古墳方位に法則性がないように見えるでしょう。
しかし、一見ばらばらに見える古墳方位は、時代が古いものほど、故郷・先祖の地を指し示している可能性が高いと考えられます。
3 日本神話・地域伝承・遺跡の方位が合致するなら、
その仮説は事実に近い
地域の伝承は、後から付加修正され、必ずしも事実を反映していません。
しかし、日本神話と地域伝承と遺跡の方位が合致する場合、遺跡をつくった当時、その神話や伝承が、古代の人々に真実として受け止められていた可能性が高いことを示しています。
インターネット地図の登場で、自由に地図の拡大縮小ができるようになった現在、かつてわからなかった遺跡と伝承の関係性を検証できるようになりました。
本説を支える7つの基本的アイデア
5 古代祭祀に使われた植物のDNAが真実を語る
古代の祭祀で使われた植物は、その希少性や必要性から、古代人によって移植され、繁殖した可能性があります。移植された地は、古代祭祀上重要地点に違いありません。
これらのことは、その植物のDNA解析をすることで、ある程度証明することが可能でしょう。解析対象候補としては、アジマサ(ビロウ)や御綱柏(オオツナワタリか?)、オロシマチクが考えられます。
4 古代において正確に方位を測る測量技術があったはずだ
土地の開墾・分割・譲渡の過程で、測量は欠かせません。弥生人は発達した米作りの技術を携えて、日本列島に入植してきたのです。そんな彼らが、高度な測量技術をもっていたと考えることに、何の不自然もありません。その技術は当然、墓づくり、祭祀場の設定、建築、遠距離の旅(遠征・征服)にも生かされたことでしょう。
測量器具は天から与えられた土地を区分けし、方位を指し示す神聖な呪物として、大切に扱われ、役割を終えると埋納されたに違いありません。
6 古墳の形は横から見た形こそ
本来の形だ
古代人は古墳を上空から見たわけではありません。あくまで、平地からの立ち位置で見たはずです。この目線で「円」と「方」の「意味」をそのフォルムから感じることはできません。
むしろ、多くの古代人を魅了したその形は、民族の歴史的記念碑をかたどった「何か」なのです。そう、ちょうど、富士山をかたどった砂山を石庭に造るように、私たちの祖先の大王達は、共有する国生み神話の原点「オノゴロ島」を模った古墳を造ったのではないでしょうか?もしそうなら、前方後円墳と前方後方墳では、大差がなくなってきます。どちらも、大小の二こぶを備えた「島」だからです。
7 大型の古墳が集中するからと言って
最初からそこが日本の中心だったとは限らない
大型の古墳が集中する畿内は、確かにある時期から日本国の中心になったでしょう。しかし、だからといってその勢力が、はじめから畿内で成長したとは断定できません。むしろ、神話は九州で育った勢力が畿内に「進出」したことを物語っています。
今でこそ全国展開して東京に本社をもちCMにキムタクを使っている「タマホーム」も、もとは福岡市の地方企業、もっとたどれば福岡県八女郡の個人経営の建設業でした。
勢力が成長していくにつれ、養う人口も多くなり、それに見合った土地を手に入れなくてはならなくなるのは、今も昔も同じことです。
今まで発表した
小論文・寄稿文
小論文
「オノゴロ島祭祀=前方後円墳祭祀起源説」
(全国邪馬台国連絡協議会hp web発表「私の古代史論」2015.11掲載)
寄稿文
「日本の和食 博多玄界灘とお茶」(生き物文化誌学会機関誌BIOSTORY vol.24 2015.11掲載)
小論文
「離島における地域の素材を活かし生徒とともに行う理科研究」
(平成26年度公益財団法人日本教育公務員弘済会 教育論文個人の部 福岡県代表作品 全国審査奨励賞受賞2015.2)
投稿文
「玄界灘の小呂島こそ淤能碁呂島である」
(歴史研究会 電子版『歴史研究』2014.11掲載)
寄稿文
「海を隔てるビロウ自生地と古代太陽信仰」
(笹川財団海洋政策研究所Ocean Newsletter338号2014.9月掲載)
寄稿文
測量教育最前線「小呂島のビロウが語る古代史のなぞにせまる!~銅鏡と矛は古代の測量器具か?!~」
(日本測量協会機関紙月刊『測量』2014.3月号掲載)
投稿文
「古事記の国生み神話と小呂島」
(志賀島歴史研究会機関紙「志賀島だより」2013.12月号掲載)
寄稿文
「可能性にあふれる小呂島のひと・自然・歴史」
(日本離島振興センター機関紙 季刊『しま』2013.9月号掲載)
小論文
「古事記の国産み神話に玄界灘の島々を見た!」
(九州古代史の会機関紙『九州倭国通信』2013.5~12月号連載)